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妄想カウンターバー「ゲルマニウムトランジスタファズフェイス」へようこそ

座って勝手に飲んで妄想していってください。踏み倒し厳禁。

今更ながら『知床旅情』の深さに感動する。

昨夜InterFMのTERAOKA MUSICという、寺岡呼人さんがやっている番組にポルノグラフィティが出てた。

www.interfm.co.jp

 その中で、ハルイチさんが「父が昔加藤登紀子さんを好んで聴いていて、この前実家に帰ったらまだCDがあった。聴いてみたら、歌詞がものすごくよくて、自分がとても影響されていたということに気づいた」と話していた。

ハルイチさんの歌詞は非常に文学的で観念的で、歌詞先行だった昔の作法に近いものがあるのも頷ける。

 番組では『百万本のバラ』がかけられたのだが、ふと、加藤登紀子さんがカバーした『知床旅情』の歌詞を思い出した。

知床旅情』は、森繁久弥さん作詞作曲・歌で、元々は『オホーツクの舟歌』という劇中歌だった。

改題・改詞されて、いろんな人がカバーしている。

そのカバーした人のひとりが、加藤登紀子さん。

飲んで騒いで丘にのぼれば はるかクナシリに白夜は明ける

 この部分を思い出して「これは完全に北方領土は日本の国土だということを念頭に置いているのでは」と思った。

実際元歌の『オホーツクの舟歌』では、 

父祖の地のクナシリに 長い冬の夜があける日を
白いカモメが告げるまで

霞むクナシリ 我が故郷
いつの日か詣でむ 親御の墓に
ねむれ 静かに

 とある。

時代的に政治的歌詞を書きかえざるを得なかったのか、単に大衆的にしたかったのかはわからないが、今改めてこれが北方領土を思慕する歌と気づいた。

『オホーツクの舟歌』の歌詞もジーンとくるが、そこから極力言葉を削ぎ落とした『知床旅情』の歌詞は、すべてを語らぬまま、十分にこちらに伝わってくる素晴らしい歌詞だということに今更ながら気づいた。

そして、この歌詞をメジャー調のバラード曲に仕立てているということも絶妙だ。

 ハルイチさんのルーツは、こういうところにあるんだなとと思うと、非常に納得する。

 『知床旅情』歌詞

www.uta-net.com

 『オホーツクの舟歌』歌詞

www.uta-net.com

中学時代に買ったアナログ盤を久々に聴き、感じるのは、単なるノスタルジーだけではないのだな的気持ちになる夜

あんべ光俊さんが早稲田大学在学中に結成したフォークグループ・飛行船は、5枚のシングルとアルバム「風の時刻表」を残して3年で解散。

「風の時刻表」は後にCD化もされているけれど、昨日、ひさしぶりに私が中学の頃に買ったアナログ盤「風の時刻表」を聴いた。

 

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 左、アナログ初盤。右、アナログ復刻盤。

 

8トラック目の「三年目の決心」は、学生街で3年の間一緒に暮らした恋人のもとを去る若者の話なのだが、中学の頃にこの曲を聴いて、大人の世界を感じた。

たぶん、「愛だけが幸せじゃない」っていう歌詞とか、恋人との暮らしを思い出しながら去っていく若者の心情から、片田舎の中学生にそう感じさせたんだろう。

そしてこの歌は、あんべさんの古くからのファンなら誰もが知っている、学生時代の恋人とのエピソードをおそらく交えながら、実は3年で解散した飛行船のことを歌っているんだろうというのは、容易に想像できる。

(違ったらごめんね)

 

このアルバム自体

青春の甘酸っぱい思い出が蘇る作品集。

学生時代を送ったアパートの小さな部屋から生まれた物語たちが歌になり息づいています 

 

とサイトであんべさんご自身が語っているが、「三年目の決心」は、このアルバムで最も端的にそれを表現しているように感じる。

 

自分のストレートな心情の記録という観点からも、作品を残すことができるというのは、クリエイターにとっても、リスナーにとっても、幸せなことだなあと思う。

それは、単なるノスタルジーとは少し違うものだということも、なんとなくわかってくるからおもしろい。

 「三年目の決心」歌詞↓

http://j-lyric.net/artist/a049226/l019def.html

 

 

黒猫たん

1グルーヴでこのかっこよさは反則だよ、アニキ!

「コピーしてェ〜!」って思えるバンドは、やっぱりステキです。

さあみんな、浅指屈筋鍛えましょう!

 


黒猫チェルシー / ベリーゲリーギャング

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今夜だから逢えない...クリスマスに降る青い雪を、南国出身の3人がこんなにも絶妙に歌うなんて。

クリスマス時期になると、聴きたくなる曲がある。

BIGINの「Blue Snow」だ。

BIGIN2枚目のシングルで、デビューシングル「恋しくて」よりもオリコンチャートはずっと下だったので、あまり記憶にない人も多いかもしれない。

http://www.teichiku.co.jp/artist/begin/discography/jacket/TEDN-16.jpg

 

この画像でおわかりのように、CDが普及し始めた時代にあった、「8cmCD」というシングル盤での発売だ。

 

BIGINはご存知のとおり、『三宅裕司いかすバンド天国』、通称「イカ天」出身で、FLYING KIDSに続く2代目グランドイカ天キングだった。

初登場で「恋しくて」を披露したときはスタジオの審査員も、視聴者も固まった。

もはや完成されたアーティストで、比嘉栄昇のルックスからは想像できない涼やかなヴォーカルに魅了された。

それが1989年初めで、イカ天は翌年末に終了している。

まあ太く短い番組だったが、インパクトはものすごかった。

私自身も人間椅子LITTLE CREATURES、解散してしまったがBLANKEY JET CITYなど、今も好きなイカ天出身バンドがある。

 

そのイカ天が終わる頃、BIGINのセカンドシングル「Blue Snow」はリリースされた。

1990年12月だ。

記憶違いでなければ、イカ天最終回スペシャル(生放送ではなかったと思う)でBIGINは「Blue Snow」を歌った。

(ちなみにまたまた記憶違いでなければ、審査員がバンドを組んでサンタナの「Black Magic Woman」をカバーした)

 

「Blue Snow」は「ブルース」にかけているんじゃないかと誰しも思うようなマイナー調のブルースだ。

耳で聴いただけなので「たぶん」だけれど、アコギ、エレアコ、エレピ、ボンゴ(カホンじゃないと思うのだけれど...間違ってたらごめんね)、マラカス、タンバリン(ジングル)が使用され、弦はダウンチューニングか、またはアコギが低音弦を多用しているかで、いい具合に歪んでいる。

逆にエレアコはシンプルな音色で、非常にブルージーでいい和音が響いている。

間奏はホーンのようなキーボード音が使用され、口笛が重なっている。

 

窓灯りの消えた街角。

コツコツと響く自分だけの靴音。

ニュースを伝えなくなったターミナルの電光掲示。

クリスマスの喧騒と対照的な孤独と静寂が、街の描写だけで伝わってくる。

街灯だけが明るく光っているのだけれど、そこに映し出される雪が、チンダル現象のようにブルーに染まって見える。

 

Merry X'mas day Merry X'mas day

街灯に 照らされて

Merry X'mas day Merry X'mas day

君に逢えずに 消える Blue Snow

 

Merry X'mas day Merry X'mas day

今夜だから逢えない

Merry X'mas day Merry X'mas day

人知れず 降り続く Blue Snow

 

雪は、大切な人を失った彼自身の投影なのだ。

クリスマスの夜にこんな孤独を感じるなんて、切ない以外の何と言えばいいのか。

今夜だから逢いたい人に、今夜だから逢えない。

消えてなくなりたくなるような想いじゃないか。

そしてこの雪の描写や、雪の持つ独特の世界観が完全に目の前にあるようなリアルさを、雪国出身の私も強く共感するくらい見事に描き切っているのがすごい。

それは歌詞だけで完成されているのではなく、この曲で、このアレンジで、この歌声だから描けているのだ。

南国沖縄出身のBIGINがこれだけ雪のクリスマスの切なさを描けるというのは、驚き以外の何物でもない。

 

発売されて、速攻買って25年近く、毎年この季節になると聴かずにはいられないアートである。

 

Blue Snow

Blue Snow

  • BEGIN
  • J-Pop
  • ¥250

 

二度惚れる男、来生たかお『シルエット・ロマンス』

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シルエット・ロマンス』は1982年4月25日リリースの来生たかおオリジナルとしては12枚目のシングルレコードで、前年大橋純子に提供した曲のセルフカバー。

『気分は逆光線』と両A面扱いだった。

 

1981年11月5日に大橋純子版『シルエット・ロマンス』がリリースされた。

その5日後の11月10日には、来生のとあるオリジナルシングルがリリースされる。

大人気若手女優にも来生との競作として同じ曲が提供され、歌手デビュー曲として11月21日リリース。

主演映画と同タイトルに改題されて大ヒット。

それが『夢の途中』であり『セーラー服と機関銃』であった。

大橋純子の『シルエット・ロマンス』リリースからわずか2週間の間に、たてつづけに来生が作ったあの時代の代表作がリリースされたわけだ。

 

大橋純子の『シルエット・ロマンス』はすぐにはヒットしなかった。

翌年になって徐々にヒットし、大橋純子としては『たそがれマイ・ラブ』と並ぶ代表曲になった。

おそらく『セーラー服と機関銃』の大ヒットに引っ張られたということもあるのだろう。

それだけ来生たかお来生えつこ姉弟の「チーム来生」の作品が世間の注目を浴びていたということだろう。

現在に至るまで多くのシンガーにカバーされ、愛される曲となった。

 

来生の『シルエット・ロマンス』は、大橋のそれよりテンポが速い。

おそらくBPM100ぐらいではないかと思われる。

ネットに上がっている動画では、来生自身の歌唱も、レコーディングのものよりテンポが遅い。

BPM80ぐらいだろうか。

来生版は非常に心地よいテンポで、サビ前からスネアのリムショットでのビートが入り、サビの部分ではシンプルな8ビートが効いている。

当時も聴いていたと思うんだが、今改めて聴いてみて、こんなにテンポが速かったかと驚いた。

やはり大橋版のテンポが頭にこびりついているんだろう。

シンプルな来生の歌い方とソフトな声が、このテンポによくあっている。

 

茜色のシルエット

 

の歌詞の置き方が大橋版とは違う。

バックもシンプルでとても心地よく、楽器そのものの音を楽しめるし、何かホッとするものがある。

 

この曲はサンリオ社の同名恋愛小説レーベル「サンリオ・シルエット・ロマンス」(のちにハーレクインに権利移行、廃刊)のイメージソングであったという理由もあり、そのタイトル通りロマンティックな歌詞になっているのだが、さすがは来生えつこと言わざるを得ない巧みさがある。

 

ああ あなたに恋心ぬすまれて
もっとロマンス 私に仕掛けてきて

 

無意識にイヤリング
気づいたらはずしてた
重なりあう シルエット

 

「ロマンスを仕掛ける」という言葉の使い方は、普通では思いつかない。

「ロマンスがある」「ロマンスを望む」みたいな使い方を普通はするだろう。

ユーミンの「思い出はさすらう」に匹敵する言葉遣いの巧みさを感じる。

そして「重なりあう シルエット」なんていう甘い歌詞を、来生たかおのような、都会的でちょっと線が細く知的な香りのする男性が、あまりビブラートも使わずにシンプルに歌うというのが、逆に色気が際立つ形になって女心をつかむのだ。

ヒットしたあの時代、子供ながらに聴いたのと、大人になってから聴くのとではまた歌詞も違って聞こえるし、あの頃ではわからなかった来生のよさもわかってくる。

 

人生で二度、惚れさせてくれる男性なのだなと思う。

 

 

ジュリーの歌声に感動して泣いた78年大晦日を回顧して、涙を拭ってシュート練習をする。

1978年のレコード大賞は、ピンクレディーの「UFO」だった。

あの頃の大晦日は、夜7時〜レコード大賞、夜9時〜紅白歌合戦と立て続けに観るのが王道だった。

だから、夜7時までにお風呂に入っておかなければならなかった。

年越しのご馳走を食べながら、その年最も活躍したスターたちの歌を聴くのは本当に楽しかった。

2時間の歌番組なんて、そうなかったんだから。

1978年は、ジュリーが「LOVE 抱きしめたい」であってほしいと思っていたが、次点とも言うべき最優秀歌唱賞だった。

でも、受賞後のジュリーの「LOVE 抱きしめたい」を聴いて、私はものすごく感動した。

感動しすぎて、涙が出てきて、家族揃って年越しをしてる前で泣くのは恥ずかしいので、大賞発表を観ずに、部屋に戻って泣いた。

正直こうなると大賞は「UFO」というのはわかっちゃったので、もう発表なんてどうでもよかった。

部屋で感動して泣いて、おさまってからまたリビングに戻り、紅白を観た。

紅白でジュリーは大トリで「LOVE 抱きしめたい」を歌ったが、レコード大賞のときほどはなぜか感動しなかった。

きっとレコ大での歌唱であまりに感動しすぎて、そこまで高まらなかったんだろうな。

 

ふとある人を思い出し、夕焼けのゴールポストを背に、たたずむ。

東日本大震災のずっと以前、被災地となったところに住んでいたことがある。

近所のスーパーに、バイトと思われる高校生がいて、とてもよく働いていた。

とにかくよく走ってた。

品出しが終わると軽く走ってバックヤードに戻る。

カートがたまったら入り口に移動させて、走って次の作業に向かう。

もちろん走るといっても、お客さんに害がないように。

とにかくよく働いてた。

1年ぐらいしたら姿を見なくなったので「進学か就職かしたんだろう」と思った。

 

ある日、夫の職場のパーティーがあり、同伴。

するとその席に、スーパーでバイトしていたあの男の子がいた。

夫の部下になっていたのだ。

 

私「スーパーでアルバイトしてましたよね?」

男性「はい。どうしてご存知なんですか」

私「毎日買い物に行ってたんですが、あなたがいつも一生懸命仕事していたので印象に残っていたんです」

男性「いやー、お恥ずかしい」

私「この職場に入ったんですね」

男性「はい。何とか入れていただきました」

 

私たち家族は県外に引越ししてしまったので、あれから一度もお会いしていないが、元気だろうか

被災地出身だから、実家やご家族は無事だったんだろうか。

それよりも、彼自身、無事なんだろうか。

もし津波に巻き込まれていたら、嫌だな。